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英国国立ウェールズ大学大学院MBAプログラム公開セミナー [MOT after Graduation]

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 英国国立ウェールズ大学大学院MBAプログラム(HABS)で無料公開セミナーがあったので参加してみました。会場は最近HABSが引っ越した新橋にあるNTTラーニングスクェアです。ひじょ~に魅力的な立地ですね(笑)。講演する講師の方は、ウェールズ大学大学院MBAプログラムの講師でもある、浜田恵美子先生です。浜田先生は太陽誘電在籍時、CD-R、DVD-Rの開発を担当され、その後コンサルタントを経由して現在は名古屋工業大学の准教授に就任されています。CD-Rと言えば、光ディスク産業が今のように発展するきっかけになったほど重要なイノベーションです。その当事者にあって話が聞けるなんて機会は滅多にないと思って出席することにしたのでした。

1.意思決定のフェイズ

 太陽誘電は磁気テープの製造メーカーだったが1984年、新規事業としてAV市場向け光ディスクを選択した。理由はカセットテープの流通網が転用できるAV市場では、磁気ディスクよりも光ディスクの方がニーズにマッチすると判断した為。アッパーコンパチブルとダウンコンパチブル:アッパーコンパチブルとは新製品で旧製品の互換性があるということ。ダウンコンパチブルとは反対に新製品が旧製品で互換性があるということ。従来AV機器メーカーはアッパーコンパチブルを志向していたが、実際にはダウンコンパチブルにニーズがあった。そこで従来のCDプレーヤーで再生可能な「記録できるCD」を開発することに決定した。

 しかしCDと互換性を確保するためには、ディスク記録面の反射率を70%以上確保しなければならないが、技術的な目処は立っていなかった。やむおえず反射率35%でディスクを規格化(ブルーブック、注:CDファミリーの規格書は表紙の色にちなんで呼ぶ通称名があります。ちなみにCDはレッドブック、CD-Rはオレンジブックです)したが、市場からの反応はなかった。そこで反射率70%以上になるように改良して「CD-R」が誕生した。この時に互換性確保の重要性を学んだ。太陽誘電は市場参入に際して他社へのライセンスも同時に行って市場の拡大を目指した。しかし技術的優位性を確保するために自社生産も同時に行うことにした。

 90年代に入ると参入企業も増え、国内の競合他社の中には海外へ生産を移管する企業が現れたが、太陽誘電は、自社優位性を活かすために国内生産を選択する。海外進出はコストがかかり、海外メーカーに生産委託すると、品質優位性が生かせなくなる。太陽誘電は国内に留まる代わりに①OEMを増やして生産数を確保、②間接費の圧縮を行なった。例えば船積の積載率を上げるために、個装梱包する前にコンテナに積み込み、梱包は現地へ運んだ後に行った。③高倍速に対応した新製品をいち早く発売した。ただしいつまでもCD-Rの開発続けるのではなく、ディスクの回転速度が1万RPMを超えると物理的限界を超えて破壊するとし、48倍速の発売を最後にCD-Rの開発を止めて、DVD-Rの開発へ開発リソースをシフトした。台湾の企業も視察したことがあるが、日本の設備を輸入してそのまま使用しているだけなので、まだ日本でやっていけると思った。

2.標準化とライセンス

 特許出願は全て太陽誘電で行ったが、標準化はソニー、フィリップスと共に行った。最初出来上がった規格書には、太陽誘電の技術は全く入っていなかったので、交渉していれてもらった。ライセンスの方法がパテントプール方式を採用し、オープンライセンス(ある一定の条件を満たせば誰にでもライセンスする)でライセンスした。後には独自ライセンスも起こった。途中からフィリップスが外部との交渉窓口になった。フィリップスは技術力よりも交渉力の方が強いような会社で、(その凄さは)ソニーなんかの比ではなかった。一旦訴訟が起こると、フィリップスが交渉窓口となるが、太陽誘電はフィリップスの要請で訴訟に対応した。訴訟の対応は大変だが、訴訟が起こらないような特許は、同時にほとんど使われていない特許であるとも言える。浜田先生は訴訟でなにか問題が起こるといけないので、基本特許が切れる2007年まで太陽誘電に在籍し、その後退職した。

3.競争と活動システムの構築

 CD-Rの開発を通じてライフサイクルマネジメント、キャズムを実際に感じることが出来た。

①イノベーター:プロ用機器としての用途、スティービー・ワンダーからも問い合わせがあった

②アーリーアドプター:CD-ROMを自主制作者、四畳半のような狭い場所でCD-Rを焼いていたので、熱に関するクレームが多かった

③キャズム:DVDの規格が策定したことから、問い合わせがAV機器のユーザーからOC機器のユーザーに変わった。DVDの規格策定がキャズムだったように思える。メディアの単価が1000円を切ったのもこの頃だ。

 そもそもDVDは、東芝、パナソニックがソニー、フィリップスのCDを潰すために起こした規格だった。その為、当初CD-Rはサポートされていなかったので、この時にパナソニックへ行ってCD-Rサポートの要請をしたこともあるが、ナシのつぶてだった。結局PCメーカーの要望により、CD-Rはサポートされることになった。具体的には、CD-RはDVD読み取り波長(650nm)では読み取り不可能だった為、光ヘッド(光学ピックアップ)にCDの読み取り波長(780nm)のレーザーを追加することで対応した。 

4.統合の視点

・太陽誘電のCD-Rビジネスは一貫したマネジメント体制を敷いていた。メンバーが変わらないので判断がブレるようなことがなかった。

・当時MBAの知識があったわけではないが、今MBAの視点でまとめなおしてみても、十分に合理性。

・価値創出の為には、異なる価値観(「技術的に可能だ」、「こういうのが欲しい」)を統合することが求められる

 日本発のイノベーションでMBA的に整理されているものは個人的には余り無いように思います。せいぜいソニーのウォークマンかアサヒのスーパードライか、旭山動物園くらいなものではないでしょうか。そんな中でCD-R事業は、MBAのロジックにうまく載ってとても分かりやすい説明だったと思います。逆にこれくらい簡単な機能の製品(記録できるCD)じゃないと、複雑すぎてMBAではうまく語れないのかな、なんて考えたりもしてしまいまいました。いずれにせよ、WBS MOTにも浜田先生のような開発マネジメント系の先生がもっと増えればいいなと思いましたね(笑)。

 

英国国立ウェールズ大学無料公開セミナー

「技術と経営の望ましい統合をめざして-CD-R開発・事業化のケースからー」


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